自動運転をめぐる二つの現実
規制強化と「人間より安全」という主張のあいだで
はじめに
自動運転という言葉が現実のものになってから、およそ10年が経ちました。
テスラやWaymoなどの企業が「人間よりも安全な運転」を掲げ、人工知能が車を制御する時代の幕を開けようとしています。
しかし、その道のりは想像以上に険しく、いまも議論の渦中にあります。
2025年秋、アメリカの連邦政府がテスラの自動運転機能「FSD(Full Self-Driving)」を対象に大規模な調査を開始しました。対象は約290万台──これは、テスラが販売してきた車両のほぼ全てに相当します。
背景には、赤信号進入や車線誤進入などの報告が相次ぎ、システムが「人間より安全」なのか「人間に危険を与える」のかをめぐる根本的な問いが再び浮上しています。
一方で、Waymoをはじめとする他社の自動運転データでは、負傷事故率や物損事故率が人間運転より大幅に低いことが示されており、「AIのほうが安全である」というデータも確かに存在します。
つまり、いま世界で起きているのは「技術の進歩」と「社会の信頼」との綱引き/駆け引きです。
AIがハンドルを握る未来は避けらないのでしょう。問題は、今が「信頼できる」状況なのかどうか。
本稿では、2025年現在のテスラを中心に、関連する事実情報と各報道をもとに丁寧に整理します。
1. 米連邦政府による新たな調査(2025年10月)
米運輸省の道路交通安全局(NHTSA)は2025年10月、テスラの「Full Self-Driving(FSD)」を搭載する約290万台の車両を対象に新たな調査を開始しました。
報告された58件の事象のうち、14件は衝突事故、23人が負傷しており、赤信号進入・逆走・車線誤進入など交通法規違反を伴う挙動が問題視されています。
この調査は「予備評価(Preliminary Evaluation)」段階ですが、結果次第で大規模リコールにつながる可能性があります。
また、NHTSAはテスラの自動運転関連のリコール(2023年末のAutopilotリコール2,000,000台超)についても「対策の有効性を検証する再調査(Recall Query)」を継続中です。
つまり、過去のリコール対応も含め、テスラの自動運転安全性は複層的な監視対象になっています。
2. テスラ・ロボタクシーの州レベルでの制約(テキサス州)
テキサス州では2025年8月に、テスラのロボタクシー事業(Tesla Robotaxi LLC)に対し、1年間の限定運行許可が与えられました。
ただしこの許可は、完全自律運転を承認したものではなく、「データ記録義務」「ドライバー監視」「運行報告」といった条件付きです。
一部議員からは「人間より信頼できない挙動がある」との批判も上がり、州議会はより強い監督権限を検討しています。
3. 労働安全と品質問題
カリフォルニア州では2025年7月、テスラのフリーモント工場が作業員の熱中症防止対策の不備で罰金を科されました。
また、新型ピックアップ「Cybertruck」では、外装部品の剥離・ドア制御不良・ペダルの不具合などのリコールが複数発生しています。
テスラはOTA(オンライン修正)で対応していますが、短期間に繰り返される安全対策が問題視されています。
4. メディアの主要論調(米・欧州)
主要報道機関は、この調査と制裁の動きを以下のように報じています。
- Reuters:「対象290万台」「赤信号進入や逆走などの事例」から、FSDが運転者を違反行為に導く危険性を指摘。
- Washington Post:「同じ交差点での事故が複数確認」され、設計上の欠陥や再現性のあるバグの可能性を示唆。
- The Guardian:「FSDは監視前提の半自動運転であり、過信が事故を生む」と分析。
- Wired / Forbes:リコールの有無よりも「運転支援を自動運転と宣伝する姿勢」自体が、消費者誤解と信頼低下を招いていると論じています。
5. 対照的なポジティブ主張:「人間より安全である」
一方で、企業や研究者の一部は「自動運転のほうが人間運転より安全」とする根拠を提示しています。
(1) Waymoの主張
- スイス再保険(Swiss Re)とWaymoの共同分析(2024年)によると、人間運転車に比べて事故損害請求が最大92%少ないとされています。
- 実走行距離約4,000万キロのデータから、負傷事故率・物損事故率ともに人間運転を大きく下回ったと報告。
- 学術研究でも「Waymo無人運転の警察報告事故率は人間運転の約6分の1」というデータが発表されています。
(2) Nature誌の研究(2024年)
- 世界的な比較研究では、自動運転車は「多くの状況で人間より事故率が低い」一方で、「交差点や夜間など特定条件では弱い」という分析が示されました。
- 結論は「安全だが万能ではない」。
(3) テスラ自身の主張
- テスラは公式サイトで、「AutopilotやFSDを使用した際の衝突率は、人間運転時より低い」との統計を発表しています。
- 同社のデータによれば、Airbag作動を伴う事故率は1マイルあたりで人間運転の約5分の1以下とされています。
- イーロン・マスク氏は「完全自動運転は、人間の10倍安全にできる」と繰り返し発言しています。
まとめ
1. 「安全」は誰の定義で測るのか
自動運転の安全は単純な数値比較では測れないということが明らかになってきました。
「どの条件で」「どの範囲で」安全なのかを明示しない限り、「○○時間無事故だった」といった主張だけでは根拠の一部にしかなっていません。たとえばWaymoのデータは都市・天候・交通量が限定されており、テスラのFSDは運転者の監視を前提としています。それらを提示した上で、どんな状況でも安全と言えるかを判断しなければならないのです。
2. 規制当局が求めているのは「安全そのもの」ではなく「再現性」
NHTSAや州政府が重視しているのは、事故の原因を特定できるか/再発防止策が明示されているかという点です。
AIが運転判断を行う以上、ブラックボックス的な学習モデルの挙動は、いくら統計的に安全でも「説明責任の欠如」と見なされるリスクがあります。そのため「安全実績」よりも「安全の証明」が重視されつつあります。
3. 企業の安全アピールは、社会的信頼を取り戻す戦略
Waymoやテスラが強調する「人間より安全」という言葉は、技術的な主張であると同時に、社会的信頼を回復するためのメッセージだと思います。特にテスラは、過去のリコール・事故・炎上動画などで信頼の揺らぎが起きたため、データと物語の両面で安全性を再アピールする必要に迫られているように感じます。
4. 安全性の「量」から「構造」へ
自動運転の議論は、「事故件数が多いか少ないか」から「どのような仕組みで安全が担保されるのか」という構造の問題に移りつつあるのかも知れません。いくら件数が多くても、ロジックが破綻している可能性があるならNGという状況です。
各社が求められているのは、単なるデータによる安全の証明ではなく、事故が起こらない仕組みをどう作るか/どう説明するかです。
その意味で、規制当局の介入は「ブレーキ」ではなく、量の課題をクリアし、次のレベルとして、「技術を社会に根付かせるための安全設計の検証プロセスに突入した」とも言えるのではないでしょうか?
以上
参照:エビデンス
テスラ関連
- Reuters「US opens probe into nearly 2.9 million Tesla vehicles over FSD traffic violations」(2025-10-09)
https://www.reuters.com/business/autos-transportation/us-opens-probe-into-28-million-tesla-vehicles-over-traffic-violations-when-using-2025-10-09/ - Washington Post「Federal officials probe Tesla ‘Full Self-Driving’ over traffic violations」(2025-10-09)
https://www.washingtonpost.com/technology/2025/10/09/tesla-self-driving-investigation/ - The Guardian「US regulators launch investigation into self-driving Teslas after series of crashes」(2025-10-09)
https://www.theguardian.com/technology/2025/oct/09/tesla-cars-self-driving-us-regulators-investigation - Reuters「Tesla seeks to keep Texas robotaxi data under wraps, regulator says」(2025-06-23)
https://www.reuters.com/business/autos-transportation/tesla-wants-us-withhold-all-answers-robotaxi-deployment-public-view-2025-06-23/ - SF Chronicle「Tesla fined for ‘serious’ safety lapse at Bay Area factory」(2025-07-12)
https://www.sfchronicle.com/bayarea/article/tesla-fined-for-serious-safety-lapse-at-bay-area-20163344.php - Tesla公式「Vehicle Safety Report」
https://www.tesla.com/VehicleSafetyReport
自動運転の安全性に関する研究・比較
- Waymo公式ブログ「New Swiss Re study shows Waymo Driver reduces injury claims by 92%」(2024-12)
https://waymo.com/blog/2024/12/new-swiss-re-study-waymo - Arxiv論文「Comparative Safety Performance of Autonomous- and Human Drivers: A Real-World Case Study of the Waymo One Service」(2023)
https://arxiv.org/abs/2309.01206 - Nature Communications「A matched case-control analysis of autonomous vs human-driven vehicles」(2024)
https://www.nature.com/articles/s41467-024-48526-4 - Brookings Institute「The evolving safety and policy challenges of self-driving cars」(2024)
https://www.brookings.edu/articles/the-evolving-safety-and-policy-challenges-of-self-driving-cars