超高額の遺伝子治療が「普通の医療」になる日

超高額の遺伝子治療が“ふつうの医療”になる日

1. 何が起きているのか

アメリカでは、鎌状赤血球症という遺伝性の血液疾患に対して、
1回の投与で長期的な効果が期待できる遺伝子治療が承認されています。

しかし、その価格は約2,200,000ドルから3,100,000ドル。
日本円にすると数億円です。biopharmadive.com+2Business Insider+2

この超高額治療を、低所得者向けの公的医療保険制度である Medicaid でも提供できるようにするため、
アメリカ連邦政府は「Cell and Gene Therapy Access Model」という新しい支払い仕組みを立ち上げました。CMS+1

このモデルは、まず鎌状赤血球症向けの遺伝子治療から始まり、
将来は他の難病向け遺伝子治療にも広げることを前提にした“制度の実験場”と位置付けられています。Yale School of Medicine


2. 鎌状赤血球症と新しい遺伝子治療

2−1. 鎌状赤血球症とは

鎌状赤血球症は、赤血球の形が「鎌」のように変形してしまう遺伝性の病気です。
酸素を運ぶヘモグロビンの遺伝子に異常があり、その結果として

  • 強い痛み発作(血管閉塞性クリーゼ)
  • 貧血
  • 臓器障害
  • 寿命の短縮

などを引き起こします。

アメリカでは、患者の多くがアフリカ系やラテン系の人々で、
歴史的な医療アクセス格差とも結び付いて語られてきた病気です。CT Insider+1


2−2. 承認された2つの遺伝子治療

2023年12月、米国食品医薬品局(FDA)は、鎌状赤血球症に対する初の遺伝子治療2剤を承認しました。U.S. Food and Drug Administration

  • Casgevy(キャスゲビー)
    • Vertex Pharmaceuticals と CRISPR Therapeutics が開発
    • CRISPR というゲノム編集技術を用いる初の FDA 承認治療
    • 12歳以上で、重い痛み発作を繰り返す患者が対象
  • Lyfgenia(ライフジェニア)

どちらも

  • 患者の造血幹細胞を採取
  • 体外で遺伝子編集やベクター導入を行う
  • 強い化学療法で骨髄を一度“空にする”
  • 編集した細胞を戻し、時間をかけて増やす

という流れの、1回投与型の治療です。
このため、長期入院や厳しい前処置が必要であり、副作用のリスクも小さくありません。CMS+2CBO+2


2−3. 価格水準

公開されているリストプライスは、おおよそ次の通りです。biopharmadive.com+2Business Insider+2

  • Casgevy
    約2,200,000ドル
  • Lyfgenia
    約3,100,000ドル

いずれも 1回分の価格です。
同じ患者が再度投与を受けることは想定されておらず、「1回で長期的な寛解を目指す」治療になります。


3. なぜ、ほとんどの患者がまだ受けられていないのか

理論上は「ほぼ治癒に近い可能性がある」と言われる治療ですが、
承認から約1年が過ぎた時点でも、実際に治療プロセスに入った患者はアメリカ全体で数10人規模、
投与まで完了した患者はそれより少ないと報じられています。biopharmadive.com+2Reuters+2

2025年時点の報道では、

  • FDA承認から約1年の段階で、両社の遺伝子治療プロセスに入った患者が約30人超
  • 2025年秋時点でも、bluebird bio が持つ3種類の遺伝子治療全体で治療を開始した患者は57人程度

といった数字が紹介されています。biopharmadive.com+2Reuters+2

主な理由として、複数のメディアや専門家は次の点を挙げています。biopharmadive.com+2BMJ+2

  • 価格が非常に高く、保険の支払い交渉に時間がかかる
  • 強い化学療法や長期入院が必要で、患者の身体的負担が大きい
  • 遺伝子治療を提供できる病院が限られており、地域格差がある
  • 長期的な安全性に関する不安が残っている

技術的には有望であり、臨床試験や学会報告では痛み発作が消失した例が多数報告されています。Reuters+1
それでも「誰が費用を負担するのか」と「どこでどう提供するのか」という問題が解決されなければ、
多くの患者に届かないことが、実際のデータから見えてきています。biopharmadive.com+2CBO+2


4. アメリカ連邦政府の新モデル「Cell and Gene Therapy Access Model」

こうした状況を受けて、アメリカの連邦政府は
Medicaid 向けに新しい支払いモデルを設計しました。これが

Cell and Gene Therapy Access Model(CGT Access Model)

です。CMS+2保健福祉省+2

4−1. モデルの目的

米国保健福祉省(HHS)とメディケア・メディケイドサービスセンター(CMS)は、
このモデルについて次のような狙いを掲げています。保健福祉省+1

  • 高額な細胞・遺伝子治療へのアクセスを改善する
  • Medicaid に加入する患者の財政的負担を抑える
  • 州の医療予算への影響をならし、予見可能性を高める

初期の対象は、鎌状赤血球症向けの遺伝子治療に限定されており、
他の疾患への展開は今後の検討とされています。CMS+1


4−2. 仕組みの概要

公開されている情報と各種報道から整理すると、CGT Access Model の枠組みは概ね次のような形です。Yale School of Medicine+4CMS+4保健福祉省+4

  1. CMS が製薬企業と「成果連動型契約」を一括で結ぶ
    治療後の一定期間、患者の健康状態を追跡し、
    期待した効果が得られない場合は製薬企業がリベート(払い戻し)を行う仕組みです。
  2. 州の Medicaid プログラムは、この枠組みに参加するかどうかを選択する
    参加する州は、CMS と企業が合意した条件に基づき、
    自州の患者に遺伝子治療を提供できます。
  3. 州単独では難しい交渉やアウトカム評価を、連邦が支援する
    州ごとに複雑な成果連動契約を設計する代わりに、
    連邦政府が共通の枠組みを整えることで、制度運用の負担を軽減する狙いがあります。

2025年夏の時点で、30以上の州と首都ワシントンD.C.、プエルトリコなどが参加を表明していると報じられています。Healthcare Dive+1


4−3. 州や病院の動き

例えばコネチカット州は、Medicaid での遺伝子治療提供を拡大する連邦の取り組みに参加すると発表し、
州内の大学病院などが遺伝子治療センターとして体制を整えつつあります。CT Insider+1

Yale New Haven Children’s Hospital などは、

  • 遺伝子治療を受ける患者の入院体制
  • 長期フォローアップ
  • 社会的支援

などを含めた「トータルケア」を前提にしたプログラムを組んでいると説明しています。Yale School of Medicine


5. 製薬企業と Medicaid の個別合意

連邦レベルのモデルと並行して、
製薬企業は個々の州の Medicaid と成果連動の合意を進めています。

  • 2024年3月
    bluebird bio は、Lyfgenia についてミシガン州の Medicaid と初の成果連動型契約を締結したと発表しました。investor.bluebirdbio.com+2Global Genes+2
  • 2024年12月
    CMS は、Vertex と bluebird bio とそれぞれ合意し、
    CGT Access Model の一環として成果連動型の支払い枠組みを導入すると発表しました。Reuters+1

これらの契約では、「治療が期待どおりの効果を示さなかった場合の割引」などが盛り込まれていると報じられています。Reuters+1


6. 専門家やメディアが注目しているポイント

6−1. 「誰がミラクル治療の代金を払うのか」

イギリスの医学誌 BMJ などは、
鎌状赤血球症の遺伝子治療を例に

  • 1回あたり2,000,000ドルを超える治療費
  • 長期的には入院や救急受診の減少などで医療費削減が見込まれる可能性
  • 費用対効果評価の難しさ

といった点を整理し、「誰が、どのように支払うのか」という問題を提起しています。BMJ+1

米議会予算局(CBO)の分析では、
遺伝子治療の利用が増えると短期的には公的医療費が増加する一方、
長期的には患者の健康状態や就労などを通じて社会的なベネフィットが生まれる可能性が示されています。CBO


6−2. 「公平性」と「実行可能性」

複数の報道や政策分析では、鎌状赤血球症が

  • アフリカ系やラテン系の人々に多い病気であること
  • 患者の多くが Medicaid に加入していること

に触れながら、
高額治療へのアクセス拡大が「医療の公平性」に直結するテーマであると指摘しています。CT Insider+2Yale School of Medicine+2

同時に、

  • 長期入院・強い前処置の負担
  • 遺伝子治療センターの地理的偏在
  • 企業側の採算性

など、現場での実行可能性に関する課題も多く取り上げられています。biopharmadive.com+2Reuters+2


6−3. 他の病気への広がり

Yale 大学などは、CGT Access Model を

「鎌状赤血球症にとどまらず、今後登場する多くの細胞・遺伝子治療の先行モデルになる」

としています。Yale School of Medicine+1

つまり、今回の取り組みは

  • SCD という特定疾患の問題であると同時に
  • 「超高額治療を、公的保険がどのように扱うか」

という、今後の医療全体に共通するテーマを先取りしていると言えます。


7. まとめ

ここまでの事実をまとめると、現時点では次のように整理できます。

  • 鎌状赤血球症向けの遺伝子治療 Casgevy と Lyfgenia は、
    長期的な症状改善が期待される有望な治療として FDA に承認された。U.S. Food and Drug Administration+1
  • 価格は約2,200,000ドルから3,100,000ドルと極めて高く、
    1回投与型であっても、公的保険制度にとっては大きな財政負担となる。biopharmadive.com+2Business Insider+2
  • 承認からしばらく経った現在も、実際に治療を受けた患者はアメリカ全体で約100人未満とされており、
    技術の存在だけでは普及しない現実が明らかになっている。Reuters+3CT Insider+3biopharmadive.com+3
  • こうした状況を受けて、連邦政府は「Cell and Gene Therapy Access Model」を通じて、
    成果連動型契約を軸にした新しい支払いフレームワークを導入し始めた。Yale School of Medicine+4CMS+4保健福祉省+4
  • このモデルは、鎌状赤血球症だけでなく、将来の細胞・遺伝子治療全般にとって、
    「超高額治療を、保険でどう扱うか」という問いへの1つの実験的な答えになりつつある。Yale School of Medicine+2BMJ+2

現時点で言えるのは、

「遺伝子治療が“ふつうの医療”になった」のではなく、
「ふつうの保険医療として扱うための制度インフラ作りが、本格的に始まった」

という段階だということです。

日本にとっても、
今後登場する高額治療や個別化医療をどのように公的保険で扱うのか、
制度設計の参考となる事例として注目すべき動きだと言えます。

以下が、記事末に載せる「参考リンク一覧」です — 読者が原典にあたれるように URL を並べています。


参考リンク一覧

  • FDA: “FDA Approves First Gene Therapies to Treat Patients with Sickle Cell Disease” — 遺伝子治療薬 Casgevy/Lyfgenia の承認についての公式発表 (U.S. Food and Drug Administration)
  • CMS: “Cell and Gene Therapy (CGT) Access Model” — 公的保険(Medicaid)を通じた遺伝子治療アクセス拡大のためのモデル概要 ページ (CMS)
  • CMS プレスリリース: “Medicare & Medicaid Services Announces Two Drug Manufacturers to Participate in CGT Access Model” — 遺伝子治療メーカーとの合意についての発表文書 (American Hospital Association)
  • bluebird bio: “bluebird bio Confirms Participation in Cell & Gene Therapy Access Model” — Lyfgenia を提供するメーカーの参画表明リリース (investor.bluebirdbio.com)
  • SCDAA(米国 Sickle Cell Disease Association of America): Statement on CMS Cell & Gene Therapy Access Model — 患者団体による声明、制度の意義と期待を説明する文書 (sicklecelldisease.org)
  • Congressional Budget Office (CBO): How Increased Use of Gene Therapy Treatment for Sickle Cell Disease Could Affect Federal and State Budgets — 遺伝子治療普及時の費用・経済効果を分析した報告書 (cbo.gov)

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