下水が「都市の体温計」になる

下水が「都市の体温計」になる 英国で広がる危険病原体の常時監視とは何か

英国で広がる危険病原体の常時監視とは何か

新型コロナウイルスの流行をきっかけに、世界中で注目された「下水サーベイランス」。
人が病院を受診する前に、地域全体の感染状況を把握できるこの手法が、英国で新たな段階に入ろうとしています。

コロナ後に定着した下水サーベイランス

下水サーベイランスとは、下水に含まれるウイルスや細菌の遺伝子情報を分析し、地域社会にどのような感染症が広がっているかを把握する仕組みです。

英国ではコロナ以前から、ポリオウイルスの早期検出を目的に下水サーベイランスが運用されてきました。
現在、イングランドでは28か所の下水処理施設から、月1回、未処理下水を採取し、ウイルスの有無や変異を監視しています。

この仕組みによって、症状が出ていない段階でもウイルスの侵入や拡散の兆候を捉えることが可能になります。

UKHSAが打ち出した「拡張」構想

2025年、英国の保健安全機関であるUK Health Security Agency(UKHSA)は、この既存の仕組みを土台に、より広範な危険病原体を検出できる技術の開発プログラムを開始しました。

公式発表で明らかになっているポイントは次の通りです。

  • 投資額は130万ポンド
  • 目的は、下水中の病原体の遺伝子情報を高感度に検出し、時間的な変化を追跡する能力の強化
  • 既存のポリオ下水サーベイランスを基盤として活用
  • 将来的には、出血熱や蚊媒介感染症なども早期警戒の対象にしうる可能性を検討

重要なのは、これは全国で即座に常時監視を始める決定ではなく、あくまで「技術と体制を整えるための開発・評価段階」である点です。

「11種類の高リスク病原体」という報道

この動きを詳しく報じたのが、英Financial Timesです。
同紙は、UKHSAが下水サーベイランスの対象を11種類の高リスク病原体に拡張する方向で検討していると伝えています。

記事では例として、

  • クリミア・コンゴ出血熱
  • ラッサ熱
  • 高病原性の耐性菌(肺炎桿菌など)

が挙げられています。

ただし、11種類の完全なリストは公式文書では公開されていません
この点については、現時点では「主要メディア報道で確認されている情報」という位置づけになります。

なぜ下水なのか

「患者を待たない」公衆衛生

下水サーベイランスの最大の強みは、医療機関に患者が来る前に兆候をつかめることです。

  • 無症状や軽症の感染者もデータに含まれる
  • 医療アクセスや検査体制に左右されにくい
  • 地域全体の傾向を俯瞰できる

Financial Timesは、これを「公衆衛生のレーダー」「都市の体温計」と表現しています。

一方、IT系メディアのThe Registerは、今回の投資について
「コロナ禍のような大規模検査体制が復活するわけではない」
と注意を促しています。

つまり、これは社会を常時監視する仕組みというより、次の危機に備えた早期警戒能力の底上げだと位置づけられています。

より細かい監視への議論も

報道では、国家レベルの監視網とは別に、

  • 空港
  • 病院
  • 大規模施設周辺

など、より局所的な下水監視の可能性についても言及されています。

これは感染拡大の「最初の火種」をいち早く捉える狙いがありますが、コストや社会的受容、プライバシーとのバランスが今後の論点になると指摘されています。

日本で話題になりにくい理由

このニュースが日本で大きく報じられていない理由の一つは、
「制度設計や技術基盤の話」であり、目に見える事件性が少ない点にあります。

しかし海外では、

  • パンデミックは例外ではなく、周期的に起こる
  • 事後対応より、事前検知に投資する方が社会コストは低い

という認識が、コロナ後に明確になっています。

下水は「見えないインフラ」から「知のインフラ」へ

英国の取り組みは、下水を単なる生活インフラではなく、
社会の健康状態を読み取る情報インフラとして再定義しようとする動きとも言えます。

派手さはありませんが、次の感染症危機が起きたとき、
「最初に異変を知らせるのは病院ではなく、下水だった」
という時代が、すでに始まりつつあるのかもしれません。


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