動物の「喜び」を科学する時代が来た ―Science Newsが伝える、動物福祉研究の静かな革命

はじめに
2026年1月、科学メディアScience Newsが一つの問いを投げかけた。
動物は喜びを感じるのか?
そして、それを測ることはできるのか?
一見すると、答えは自明に思える。
公園で駆け回る犬や猫――私たちは日常的に、動物の「幸せそうな姿」を目にしている。
だが科学は、長い間この問いに真正面から向き合ってこなかったのだそうだ。
測りやすいものだけを測ってきた
動物行動学や動物福祉の研究は、これまで主にネガティブな感情に焦点を当ててきた。恐怖、苦痛、ストレス――これらは測定しやすかったからだ。
血中コルチゾール濃度、心拍数、逃避行動。客観的な指標として扱いやすく、科学的に「証明」しやすかったのだ。
一方で「喜び」や「幸福」は曖昧だ。どう定義するのか。何をもって「動物が喜んでいる」と言えるのか。擬人化の罠に陥らずに、どう研究するのか。
20世紀の心理学は、行動主義の影響下で主観的な感情を避けてきた。パブロフの犬、スキナーの箱――測定可能な行動だけが科学の対象とされた時代の名残が、今も残っている。
「苦しんでいない」だけで十分なのか?
けれども今、ようやく研究者たちは別の問いを立て始めた。
動物が恐怖や痛みを感じていない状態――それは本当に「良い生」と言えるのか?
刺激に乏しく、探索の機会もなく、社会的交流が制限された環境。そこに苦痛はないかもしれない。だが、それで十分なのか?
この問いは、畜産、動物園、実験動物、野生動物保全まで、あらゆる動物福祉の現場に関わる。
Science Newsが紹介する研究者たちは、「ネガティブをゼロに近づける」発想から、「ポジティブな状態をどれだけ実現できているか」という軸への転換を試みている!
「喜び」をどう定義するか
ただし、これはロマンチックな話ではない。
最初の壁は、「喜びとは何か」という定義だ。
研究チームは慎重だ。人間の幸福感を安易に動物に当てはめない。代わりに、こう定義する:
喜びとは、短時間で、特定の出来事に反応して現れるポジティブな状態
そしてそれを、行動・生理・認知の複数の指標の組み合わせで推定する。
「動物は今、嬉しいに違いない」と断定するのではなく、「この状況では、ポジティブな状態にある可能性が高い」と確率的に扱う。
擬人化を避けながら、科学として成立させる――その緊張感が、この研究の核にある。
「喜びメーター」への挑戦
インディアナ大学の認知科学者エリカ・カートミルらの研究チームは、類人猿、イルカ、オウムを対象に「喜びを測る」試みを始めた。
彼らが用いる主なアプローチは・・・
1. 認知バイアステスト(楽観性の測定)
動物に曖昧な刺激を与え、「期待をもって近づくか」「慎重に避けるか」を観察する。
ポジティブな状態にある個体ほど、未知の刺激を「報酬かもしれない」と楽観的に解釈する傾向がある。感情を直接測るのではなく、感情が意思決定に与える影響を測るアプローチだ。
例えば、類人猿のボノボに「黒い箱にはブドウが入っている、白い箱には何もない」と学習させた後、曖昧な灰色の箱を見せる。赤ちゃんボノボの笑い声を聞かせた後では、ボノボたちは灰色の箱に近づく確率が高まったそうだ。
2. 「棚ぼた実験」
予期しない幸運が、どんな反応を引き起こすか。
研究者はボノボにブドウを1個ずつ与え続けた後、突然10個を一度に提示した。ボノボたちは「フードピープ」と呼ばれる鳴き声を発した。
さらに実験を重ねると、この鳴き声は食べ物に限らず、久しぶりに会う飼育員との再会時にも聞かれた。もしかすると、これは単なる「食べ物の声」ではなく「嬉しい声」なのかもしれない。
3. ニュージーランドのオウム「キーア」と雪
ニュージーランドの研究者たちは、キーアが晴れた雪の日に特別な行動を取ることに気づいていた。雪玉を作り、小屋の屋根から滑り降りる――まるで遊んでいるかのように。
彼らは人工雪を飼育環境に投入し、キーアの行動を観察した。鳥たちは雪に群がり、一羽は研究者に向かって雪玉を転がした。
同時に、遊んだ鳥の糞を採取してホルモン濃度を測定。体温の変化も赤外線カメラで記録した。データは「ノイズだらけ」だったが、それでも手がかりを探している。
4. イルカの「勝利の叫び」
イルカは魚を捕まえた時、あるいは訓練で課題を成功させた時、特定の鳴き声を発する。研究者はこれを「victory squeal」と呼ぶ。
興味深いのは、イルカがこの声を報酬をもらう前にも発することだ。まるで「やった!」と自分で喜んでいるかのように。
さらに、仲間のイルカと一緒に泳いでいる時や、予期しないおもちゃをもらった時にも同様の鳴き声が聞かれる。これは単なる報酬への反応ではなく、社会的なコミュニケーションなのかもしれない。
個体差という壁
研究を進める中で、研究者たちは一つの現実に直面した。
同じ刺激に対する反応は、個体によって全く異なるという現実である。
ある類人猿はバスケットボールに夢中になったが、別の個体は無関心だった。オウムの一羽は実験に積極的に参加したが、別の一羽は研究者の呼びかけを無視して葉っぱで遊んでいた。
「一つの実験がすべてに当てはまるわけではない」――研究者たちは率直に認める。
懸念
Science Newsは、この研究の可能性と同時に限界と危険性も明確に示している。
・指標の多くは間接的で、解釈に幅がある
・「測れる喜び」だけが重視され、本質を見失う可能性
・技術が未熟な段階で政策や規制に使われるリスク
特に重要なのは最後の点だ。動物福祉の基準として「喜びの測定」が採用された場合、測定できないポジティブ状態は「存在しない」とみなされかねない。
中途半端な理解で制度設計に落としこむことには大きなリスクがありそうだ。
なぜこの研究が重要なのか
この研究の価値は、「動物も嬉しい」という主張そのものではない。
本質は、
私たちは、測れるものだけを全てとして、都合よく扱ってこなかったか?
恐怖やストレスは測りやすい。だから、それを減らすことが福祉の中心になった。
だが本来、良い生とは「悪が少ない状態」ではなく、「価値ある状態があること」ではないのか。
この問いを、科学の言葉で真正面から扱おうとした点に、Science News特集の意味がある。
日本では、ペットブームや動物福祉への関心は高い。だが、こうした基礎研究レベルの議論はほとんど紹介されていない。
理由は様々:
・畜産・実験動物・動物園を横断する倫理議論の不在
・「感情を測る科学」への警戒感
・福祉を制度・コストの問題として扱いがち
だからこそこの研究は重要なのではないだろうか?
まとめ
動物の喜びを測る研究は、完成された技術ではない。
むしろ未完成で、誤解の余地も大きい。
それでもこの流れが重要なのは、
測定できるものだけから価値観を判断してよいのか?という疑問を私たちに投げかけてくれていることだ。
また、これは動物福祉の話であると同時に、福祉社会全体への示唆でもある。
測れない価値をどう扱うか、いま分かることが全てだと思ってしまいがちな私たちへの戒めと言っても良いのではないだろうか。
過去の記事:
参照情報
主要参照記事(Science News と関連報道)
- Animals experience joy. Scientists want to measure it
Science News の特集記事本体。動物のポジティブ感情(喜び)の科学的測定や “joy-o-meter” 構想、複数種への適用例が詳述されています。
→ https://www.sciencenews.org/article/scientists-measure-animal-joy-emotions - Science News February 2026 Issue(目次ページ)
上記の記事が掲載された号の目次が公式に確認できます。
→ https://www.sciencenews.org/sn-magazine/february-2026 - “Scientists have long focused on quantifying fear …”
Science News の公式ショート投稿。特集本文へ誘導する形で、ポジティブ感情の重要性を説明した公式ツイートです。
→ https://x.com/ScienceNews/status/2015798188720996692 - A wide array of animals experience happiness, joy and other positive emotions
Science News の別公式投稿。動物にポジティブ感情があるという世界観を示しています。
→ https://x.com/ScienceNews/status/2014767651088691545
関連する海外報道・解説
- Scientists Finally Understand How Animals Experience Joy — VICE
Science News 特集に関連して、海外メディアが「joy-o-meter」プロジェクトの狙いと課題を解説した記事です(英語)。
→ https://www.vice.com/en/article/scientists-finally-understand-how-animals-experience-joy/ - The Secret to Understanding Animal Consciousness May Be Joy — Scientific American
Science News のトピックと関係の深い海外記事。動物の喜び・感情の研究が意識・意識の証拠として議論される文脈を扱っています。
→ https://www.scientificamerican.com/article/the-secret-to-understanding-animal-consciousness-may-be-joy/
参考となる科学的背景・関連研究
- Animal emotions and consciousness: a preliminary assessment … — Royal Society Open Science
動物の感情・意識について研究者がどう考えているかを定量的に調査した学術論文。Science News の上下文を理解する際に役立ちます。
→ https://royalsocietypublishing.org/rsos/article/11/11/241255/92388/Animal-emotions-and-consciousness-a-preliminary - Scientific thought on emotions in animals — ScienceDaily
動物の感情研究全般(ポジティブ感情への興味含む)の最新動向を解説する記事。Joy に関する広い背景知識として使えます。
→ https://www.sciencedaily.com/releases/2024/11/241114161428.htm
補助的な動物感情研究記事
- How do we know what emotions animals feel? — Science News(関連記事)
感情研究の方法論的制約を丁寧に解説した別記事。ポジティブ感情を測る難しさの背景理解に使えます。
→ https://www.sciencenews.org/article/animal-emotion-behavior-welfare-feelings

